10月, 2010 | jam - Part 10 :: jam
フレディー本間
1989年千葉駅の周辺で弾語りを始めた路上演奏の草分け的存在。 その後行付けの飲み屋で意気投合した仲間とハードロックバンド『LED PURPLIN 』を結成。解散記念ライヴと再結成ライヴをくり返し現在に至る。 2004年よりピアノの弾語りでのソロライヴを開始。主にジャムの月曜日のイベント『スト-ミーマンデイ』でロックの名曲や尊敬する「梅太郎」の楽曲を唄って新たな境地を開拓した。2004年12月27日のストーミ-マンデイスペシャルに出演。 2005年、花粉症の季節が過ぎ去った頃再び彼の歌声が聴けるはず! 2007年、第2火曜日の親父のフォーク集会でソロ活動を再開。2010年から洋楽カバー限定イベント「カバートゥーカバー」にピアノ弾き語りとギター弾き語りで出演。また「本千葉フォークジャンボリー」にもレギュラー出演している。
藤井美由紀
1999年12月惜しまれつつ解散した「STEP OF DREAM」のヴォーカルだった彼女は、一年間のブランクの後ピアノの弾き語りで演奏活動を再開した。リオン・ラッセルやイ-グルス等のバラード中心のステージは落ち着いた雰囲気でゆったりと時間が流れる。 2002年から「藤井美由紀バラードを唄う」と題して一年間マンスリーライヴを行ない ソロミュージシャンとしての実績を重ねた。 ミュージシャンズパラダイスJAMの13周年記念オムニバスアルバム『拾参執念』にも参加している。 2003年はソロアルバム製作の計画があったが、実現に至らず。 2004年ジャムの15周年アルバム 『15周年漂流記』にゐぬ屋のドラマーとして参加。2005年同じく16周年記念オムニバスアルバム『どこまで続くぬ かるみぞ』にはゐぬ屋のメンバーとして一曲その他にピアノの弾き語りで一曲参加している。 2011年ボーダレスカンパニーのドラマーとしてアルバム「FROM STUDIO OLD MARKET」を発表。2ヶ月に1回のペースでジャムでのライブを継続中。
橋本正也
1992年以来、火曜日のジャズナイトでのライヴを毎月欠かさず続けている。 1998年に初のリーダーアルバム『BREAK THROUGH』を発表。 2005年セカンドアルバム発表。 2007年彼のプラモデル指南を受け、零戦を製作。2008年「漢塾」を結成、2010年、ギタリスト堀江洋賀さんとのデュオライブ開始。
橋本正也http://homepage3.nifty.com/jazzkuma/top.html
ネロ少年
本名しばざきともゆき。ギター弾き語り。 1999年ジャムに登場。その後しばらく顔を見せなかったが2005年ちばひろのぶの主催するイベント「晴れのち曇り」にゲストとして出演し、家族に対する深い愛情を唄で聞かせてくれる。熱血漢。千葉ロッテマリーンズの熱狂的なファンで、2005年、2010年の日本一の時には試合のハイライトや優勝記念特別番組を編集してDVDを製作しプレセントしてくれた素晴らしい男。その後も「松田聖子」のオムニバスアルバムを作ってくれたり、コンサート会場でしか購入できないグッズをくれたり、そして毎年クリスマスにはサンタクロースのお菓子長靴をプレセントしてくれる心優しいロックンローラーです。
TOHRU
本名、中島徹。ストーミーマンデイ「嵐の月曜日」の主。『みんなどこへ行っちまったんだ。おいらは何処へ向かってるんだ。スキあらばそのドアをけやぶってやりたい。やっつけてやるぜ、やっつけたいんだ、だけどやられっぱなしのTOHRUでした。ハッハッハッハ。やれやれさてとビールだ。』 2004年10年間のミュージシャン人生の一区切りをつけるべく、ファーストアルバム『ROAD TO BEER』を製作。ジャムの16周年記念オムニバスアルバムにも参加。 2005年からはアコースティックレヴォリューションにたまに参加、 2012年千葉市新宿町にカフェバーFROGを開店、オーナーとして忙しい毎日をおくるかたわらたまにイベントを主催して歌っています。
土谷正寛
ギタリスト。ブリティッシュロックをこよなく愛し、都合2年間の英国生活を送って来たロックンローラー。土曜日に行われていたブルースセッションにグレッチを持って現れると、パンキッシュな演奏を聴かせてくれた。現在は伝説のロックンロールバンド「射鬱」のボーカリスト川畑良介とバンドを結成しライブ活動をしている。
千田哲彦
ギタリスト。竹田和夫のエルコヨーテのギタリストとして10代からプロとして活躍する。1994年から2年間ほとんど毎週土曜日のブルーズセッションに足立区から通 ったつわもの。その後、単身渡米しシカゴのブルースシーンで腕を磨く。オーティスラッシュうに可愛がられ度々ステージに呼ばれる。帰国後は「SPIDER WALK BLUES BAND」を結成し精力的にライブ活動を繰り広げブルースギタリストとしての地位を築く。同時にジャンゴラインハルトの奏法も習得しジャズ畑にも進出、数々のミュージシャンのアルバムにも参加し魅力的な演奏を披露している。2013年より「Spide&redipS」で演奏活動している。ジャムには3ヶ月に1度のペースで出演。雪で凍った道路で、ノーマルタイヤを装着した車で完璧に1回転スピンしてそのまま何事も無かったかのように走行する驚異の運転テクニックを持っている。
http://home.att.ne.jp/orange/SWBB/
滝村泰
ギタリスト。ブルーズバンド「サタデイナイトポーカーズ」の第3期(1992~1994)ギタリストを務めた。1997年ライヴハウスANGAの設計、建築を担当した。2002年ライブハウスANGAの移転に伴い再び設計建築を担当。
2003年10月のANGA移転の際も新店舗の設計、施工を担当。2004年2月の防音工事も総べて担当し、我々ミュージシャンにとって無くてはならない音を知っている特級建築士。 2007年1月、若潮マラソン完走(3時間35分)
高橋コウ
ヴォーカリスト。1987年ロックバンド「だるま」で本格的に演奏活動を開始。 1991年「チョコレイトドロップス」を結成。精力的に演奏活動を続ける中、 1995年ファーストアルバム『SHAME ON YOU!』をリリース。 1998年活動を休止。 1999年「コウ&FG’S」を結成。2000年「アストロ楽団」と名前を改めヒートアップしたステージを毎回繰広げロックファンの絶大な支持を受けた。 2002年新たな刺激を求めて「デルタ地帯」を結成。「お客さんを喜ばしてなんぼ!」と言うプロ根性を持ったロックヴォーカリスト。 2003年から2004年まで、親友のウラケンイチと二人でアコースティックイベントを毎月企画し出演していたが、2005年に休止。噂では、たまに弾き語りで場末の店に出没していたらしい。2016年「クロッパーズ」を結成し活動を再開した。
関秀人
御存知サウダージマスター。1992年にジャムに登場、一年間の山籠り(オリジナルづくり)の後リターンマッチに現れ、以来ANGAに就職するまでの7年間ジャムで毎週唄ってくれたのです。ANGAの店長としてなかなかステージに立つ事はないが、ボサノバに対する彼の情熱はいささかも衰えることはなく2013年にブラジル料理と音楽のお店「カフェNOSSA」を開店、残念ながら2015年に閉店したがその後もブラジル音楽のイベントを企画して音楽と深く関わっている。